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「のっかりヘイター」と、想像力


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ここ最近グラフィックレコーディングの知名度が上がるとともに「価値につながるには?この形がベストか?」という批判が内外で出てきて、とてもいいことだなと感じています。

自分も「グラフィックカタリスト・ビオトープ」というチームで活動しているので他人事ではありません。
Graphic Catalyst Biotope
http://www.graphiccatalyst.com/

一方で「嫌い、意味ない」のような建設的ではないただの声も少なからず混ざっていて、この件に限らず課題だなと感じています。

この件に限らず「私はこのままでいいと思ってない(だから何かあるはず)」という批判に対し、条件反射的に「分かる、私も嫌いだった―(終わり)」と乗っかる人たちがいます。

SNSで可視化が進んだこの存在を「のっかりヘイター」と私はは呼んでいるのですが、こういう人が増えてしまっていることに強い危機感を感じるのです。
「のっかりヘイター」としてふるまう人たちには「なのでこうしてみては」という意見が特にありません。その結果「なので私が嫌いなあれは必要ない、いらない」となりがちです。

SNSなどではどうしても「嫌い」>「好き」の構図になりがちなので、こうして弱い何かはつぶされてしまいます。

何かに対して好き/嫌いがあるのは当然のことですし、嫌いだということをダメと言っているのではありません。
好きなら好きで、嫌いなら嫌いで、理由をちゃんと説明した上で議論をしないと、世の中のあらゆるものが「私(たち)は、これが嫌いだからなくすべし」とされてしまう危険性があると言いたいのです。

「もし自分の大切にしているものがこういうことの標的になってしまったら…」という想像力を持てれば、発言も変わると思うのですがなかなか難しいようです。

実はこれってイジメと本質的には同じなのです。
みんながやってるから、自分一人のやることなんてで始まり、いつしかその行動、発言で自分を正当化し、どこか楽しさを覚え…。

ひとりひとりの「何気ない一言」が集まって、ものすごい攻撃になっているのを見るにつれ、もしかするとネットやSNSというのは、速度や距離だけでなく、「何気なく」の「何気」まで無効にしてしまったのかな、なんて感じたりするのです。

勿論、悲観だけでなく希望もたくさん見てきましたし、自分はインターネットもSNSも大好きです。
ただ、ちょっと相手に対する想像力を持てると世界はもっと良くなると思うんですよね。



ここからは完全に僕の宣言になりますが…

そんな想像力をはぐくむための一つの方法として「描く」が有効なはずと考えています。
それをもって私はラクガキコーチやグラフィックカタリストという肩書で日々活動しています。

グラフィックレコーディングはその発露の一つで、引き続き「どうすればいいものになるか」は考えて実践していきたいと思っております。

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