「できる・わかる」を「わかって、できる」ようにすることが、これからの世界で必要とされる能力ですよ、きっと
「これってそもそもどういうことなんだろう?」
「どう説明したら伝わるだろう?」
というのが、自分の思考のクセになっています。
最近もとある案件でずっと頭を悩ませ続けているのですが、まあなんだかんだいってこういうことを考えるのが好きなんだな、と感じたりして。
あらためて、感覚でできていることを客観的に観察して言葉にして体系化するって実は結構難しくて、でもだからこそこれからの世界で必要とされる能力ではないかな、と思うのです。
実際、私がラクガキ講座「ハッピーラクガキライフ」で伝えているのはまさにこれにあたることで、私自身ががなんとなくできていること・考えていることを言語化・体系化しているわけです。
こういうのって意識しないとできないものだと思っていて、だからこそそれができたときに価値になるわけですね。
そう遠くない将来、人間の仕事の大部分がロボットによって行われるようになると言われたりもしますが、そんな世の中になったとしてもこの「できる・わかる」を「わかって、できる」ようにすることはロボットにはできません。
むしろ「できる・わかる」を「わかって、できる」ようにすることこそ、ロボットが何かの仕事をできるようにするために必要なものでもあるわけですからね。
ちょっと難しくいうと「メタ認知」という言葉になりまして、意味としては「認知を認知すること」あるいは「自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること」という解説がされていたりします。
「メタ」って聞くと「メメタァ(Google 画像検索)」しか思い出さないっていうのはナイショですけどね。
最近は教育の現場でもこの「メタ認知能力」をどう育成するかが課題になっているようですよ。
で、このようなことを考える時に私が何をするかというと、それがやっぱり「ラクガキ」なんですね。
どういうことかというと、自分の考えややり方を客観的に観察するためには、考えややり方を客観的に観察できる状態にしなければいけないわけです。
そしてそれはまだ言葉になっていないからこそ、観察することが難しいわけです。
そこで言葉でもない、そのままの考えを外に出す方法としてラクガキが役に立ちます。一枚の紙に落とし込まれたアイデアは、時に時間軸や文脈を超えてつながって体系化されていくわけです。
まあ、私の場合はそこから言葉にするところでもう一つ壁を感じておりまして、だからこそこんな風に文章を書いて特訓してるわけなんですけど(笑)
でもほんと、スパッと言葉にして説明できたときは自分も気持ちいいんですよね。
そんな自分の気持ちいい!楽しい!という感覚で誰かにも喜んでもらえたら、やっぱりそれってとっても幸せなことだな、と思って、今日も私は考えて、ラクガキして、言葉にしようとしているのです。
というわけで、書籍「ラクガキノート術」も引き続きよろしくお願いいたします!
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