「妖怪ウォッチ」にハマってるウチの子と「Ingress(イングレス)」にハマっている知人を見て勝手に思ったこと
家に帰ると子供達がずっと「妖怪ウォッチ」のことを話してくるんです。
今のところDSを買い与えていないのでゲームはしていないのですが、毎週金曜日にやっているアニメをかかさず必死で見ています。
横で見てるとついつい一緒になって見ちゃうんですよね。
一方最近、知人と飲みに行くとみんな決まって「Ingress」のことを話しているんです。
青だ、緑だ、ハックだ、攻撃だ、と。
私自身はこのゲームをやっていないのですが、Googleマップをベースにした世界中で青と緑で対抗する陣取り合戦、みたいな認識なのですが(合ってます?)。
そんな私はといえば、人が「おもしろい!」と言っていることの理由を観察して想像するっていうゲームに夢中なわけなのですが、上記2つのゲームのある共通点に気づきました。
具体的に言うと
妖怪ウォッチでは、世の中の様々な出来事(突然性格が暗くなるとか)の裏に妖怪がいるという設定で、主人公の男の子は妖怪ウォッチを通すことで妖怪を認識するというお話。
Ingressはリアルな世界を舞台に青の「レジスタンス」と緑の「エンライテンド」が陣地を取り合うゲームでアプリを通すことで、普段見ている何気ない町に特別なポイントや、青と緑の勢力図が見えるものです。
ともに持っている、プレイしている人にしか分からないもう一つの世界があるということ。
いうなれば「秘密の共有」という感じでしょうか。
そういえば、数年前にブームになった「電脳コイル」というアニメも、主人公の子供たちが電脳メガネを使って、現実世界に重ねて表示される電脳世界を見られるという設定でした。
他にはヒーローものにつきものの「正体は秘密」という設定もこれに近いかもしれないな、と思ったり。
このあたり、妖怪ウォッチのゲーム性とは直接的に関係していないかもしれませんが、ターゲットである子供たちは主人公が妖怪を見ている様子を自分のことのように感じ、日常生活の色んな出来事を見て「もしかすると妖怪がいるのかもしれない」とゲームをしている、またはアニメなどを見ている友達同士で盛り上がったりしているのではないかな、と。
まあ、こういうのは今にはじまったことではありませんが、やたら熱心に「青だ!」「緑だ!」という知人達をみて、「自分たちは知っている」という状態を共有することって人間の根源的な悦びの1つなのかなぁなんて。
こういう要素を意図的にコミュニティ作りやサービスの設計の中に混ぜ込んでおいたりするのも面白いかもしれませんね。