あれから2年経って、自分が「先生」と呼ばれて思い出したこと
ひょんなことから主催することになったラクガキ講座「ハッピーラクガキライフ」
その第2回目となる「第2回ファーストステップ講座」を3月23日に無事開催することが出来ました。
こちらの講座では、「絵が苦手」「何から描いていいかも分からない」というような人に向けて、ラクガキを通して絵を描くことの楽しさをいま一度感じてもらい、絵を描くことがもっと身近になってもらいという思いで開催しております。
気づけば「先生」と呼ばれていた自分
自分で講座を開いておいて「気づけば」なんていうのはなんですが、そう思ったのは以前自分が書いたコチラの記事に由来します。
実は両親ともが「先生」的な存在であったため、自分の中にもある種の「先生・教師」感というのが植え付けられており、そのような存在にある種のあこがれを持っていました。
また、この直前に書いたコチラの記事も個人的に印象深いものとなっています。
あれから2年が経ち
物心ついた時から、両親が何かしら人に教える「教師」であったため教えたり学んだりということに少なからず興味がありました。
ただ、私は縁があったり無かったりした結果、現在「教師」という職業にはついていません。
などと言っていた自分が「先生」と呼ばれているなんて、世の中何があるか分かりません。
2年前の自分と今の自分と
2年前の記事を見つけ、読んでみて少しドキドキしました。
もちろん人の意見は変化するものですが、今と全然違うことを言っていたらどうしよう、なんて思ったのです。
ですがその不安ににも似た気持ちは
もちろん「教える」という行為は大切ですが
「先生」「先輩」がすばらしいかすばらしくないを決めるのはあとに続く人たち(生徒・後輩)が「自分もあんな風になりたいので学ぼう!」と感じられるかどうかかな、と思った次第。
という自分の言葉を見て少し軽くなりました。
今こうしてラクガキ(イラスト)を人に教えていますが、私より「絵がうまい」(定義はひとまず置いておいて)という人は世の中に沢山います。
またいわゆる「美術教師」の方も世の中にたくさんいます。
ただ、人に「絵を描くって楽しいな」と思い出させる役割の人については、そんなに多くないのかなと思ったのです。
そうでなければ、こんなに「絵が苦手」という人が多いはずないでしょう。
そんな中で、講座に来ていただいた人のその後を見ていると、それぞれの人がそれぞれに「何かを描く」という行動を始めていることがSNSなどを通して伝わってきています。
もちろん、そこからの継続にはまた違った力が必要ですが、こんな風に行動のきっかけを与えられたことが何よりうれしくて、ああ、それはブログにのめり込んだ気持ちにも似ているな、と自分の初心を思い出したりもしたのでした。
そう思っていたら、上の記事でも引用した一節があらためて心に染みました。
There is no teacher, who can teach anything new.
He can just help us to remember, the things we always knew.
(新しいことを教えられる教師はいない。ただ、私達がすでに知っていることを思い出させるだけなのだ。)
「絵を描く楽しさ」ってまさにこれだな、と。
そんなラクガキ講座の「ハッピーラクガキライフ 第3回ファーストステップ講座」の第三回の申し込みページはこちらになります。
ハッピーラクガキライフ 第3回ファーストステップ講座 | Peatix
昔は絵を描くのが好きだったけど、なんだかそういうのも無くなってしまったな、という方、一緒にお絵かきしてみませんか?
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