「今こそ読みたいマクルーハン」―神輿を担ぐか、写真を撮るか
お恥ずかしながら、マーシャル・マクルーハンという人物について何一つ知識がありませんでした。むしろ、名前すら初めて聞いたほどの。
「今こそ読みたいマクルーハン」という本を手に取ったのは、いつもお世話になっているLifehacking.jpの堀さんのライフハックLiveshowで話題が出たことがきっかけでした。
▼ライフハックLiveshow #71「We need more Sensors」/ #70「Reboot」 | Lifehacking.jp
どちらかというとアカデミックな道をちょっと横目に生きたタイプですので、少し尻込みしたのですが、内容についてかなりオススメされたことと、ちょうど先日購入したKindle Paperwhiteが活躍してくれそうだったのでさくっと購入。
結論から言うと、これは本当に読んで良かったと思える一冊でした。
なぜ今マクルーハンなのか
すでに堀さんによるすばらしいエントリが上がっており、今さら自分が、という思いもありはするのですが、一部引用させていただきつつ、私の感じたことなどを。
マーシャル・マクルーハン。カナダ出身の英文学者で思想家。コミュニケーション理論、メディア論の大家として1960年代に活躍し、「メディアはメッセージである」「地球村」などといった言葉や概念を生み出した人物として著名であるものの、実際のところ一般の読者が何の用意もなしに原典にあたるのはなかなか難しい書き手かもしれません。
まず、堀さんをしてこのように言わしめるほどであり、本文中に時折引用される原点は「はて?何を言っているんだろう…?」というほどなのですが、そこは著者の小林啓倫氏(POLAR BEAR BLOG)の手によって適度に噛み砕かれ、とはいえこちらに考える余地を与えてくれる構成になっておりとても理解しやすいと感じたのが最初の印象。
おかげでとても容易にマクルーハンの考え方にふれることができます。
でもそもそも、なぜ1960年代に活躍し、1980年に亡くなられた思想家について知る必要があるのでしょう? もっと最近の思想家のほうが、ネットを含めた社会を上手に説明できるのではないか? そんな疑問は当然浮かんでくると思います。
このようにすでに30年以上前に亡くなった思想家が今なぜ注目されるのか、それは彼の考え方が単なる流行ではなく、その奥にある本質を見抜いていたからにほかありません。
マクルーハンによる「メディア」という言葉の解釈、それが現代につながった現象を小林氏が紹介するという構成に、彼は予言者だったのだろうかと錯覚してしまうほど。
でも、そうではない。
マクルーハンはあくまで「本質」を切り取っているだけで、決して予言をするわけでも説明をするわけでもないのです。
「私は説明しない、探究するのみ」
というフレーズが出てきます。
彼はあくまで思考の補助線を示しているだけで、答えを出そうとしていない点がとても印象的です。
この本質的な補助線は、これから先にもきっと使えるはず、読み終わったときそう感じることでしょう。
神輿を担ぐか、写真を撮るか
私の頭に直感的に浮かんだのは祭りの風景でした。
現代のインターネット、スマートデバイスの普及、そしてこうして当たり前にブログを書いていられることは、日常でありながらさながら祭りのようなものではないかと感じたのです。
これらのブームに乗り、便利に使いこなしていることは、さながら神輿を担いでいる状態であると。
しかし、少し視点を変えてみると、神輿を周りから見ている人がいたり、いつもとはうって変わって異常にひっそりとした裏路地があったり、次の日、祭りの後のゴミが散乱した大通りに思いを馳せたり、そういうことがあると理解して様々なことを観察し、少し離れたところから神輿の写真を撮るような。
そんな風景。
上記はあくまで私の勝手なイメージではありますが、現代のような変化の激しい時代にこそ、マクルーハンの示してくれた補助線を思考ツールの一つとして知っておくことは、決して無駄なことではないと、そう感じさせてくれる一冊でした。
ちなみに著者の小林氏が2013年11月17日22時から配信の「ライフハックLiveShow」に出演されるそうです。
私も端っこでお話を聞きたいなと考えておりますが、こちらも合わせて是非。
(デザイン+イラスト+ガジェット)×ヒラメキ=ワシヅカミクリエイターのタムカイでした。