4弦と6弦と16色のジャムセッションが私の心に焼きついた理由
「もしもピアノが弾けたなら」という歌があるように、楽器が弾けることに憧れを抱く人は少なくないと感じます。
かくいう私もその一人。
ピアノやギターが弾けたら、人生がもっとたのしくなるんじゃないかなぁと思った回数は数しれず。
という話をピアノが弾ける家人にしたところ
「私から見れば、絵を描ける方がうらやましいわよ」と
なるほど、そういう想いもあるのだな、と思ったり。
さて、昨夜のことになりますが、ひょんなことから友人とロックバーなるお店を訪れました。
ここでは店内のステージにギターや、ベース、ドラムと言った楽器が並び、お客さんが飛び入りで楽器を弾いてセッションしたり歌を歌ったりしつつ、観客であるお客さんはお酒を飲みながらそれを見る、というようなシステムになっています。
地下に降りたところにある、少し薄暗い店内には、常連さんらしきお客さんとマスターが。
知人がなじみの店ということもあり、やさしく迎え入れていただきました。
やがてステージ上では、ギタリストで友人とお店の人たちとのセッションが開始。
まったくの初対面であるにも関わらず、伝えあったコードから始まるセッションに目も耳もすっかり奪われて。
ただ私はこの時、あの輪に入ってみたいと思うものの、自分には弾ける楽器がなく…。
と、いつもならここで終わるのですが、この日は落ち着いて席に座れたことに加え、お酒が入っていたこともありカバンからスケッチブックとペンを取り出してラクガキをしてみたのでした。
出来上がったラクガキとステージの様子をFrontbakという2枚の写真が1枚になるカメラアプリで撮影したものが上の写真。
決して「上手い」というイラストでは無いのですが、この絵は私にとってとても印象深い1枚であることに気付きました。
というのも、この写真をよく見るとわかるのですが(いや、分からないかもしれませんが(笑))、上の写真と描かれたラクガキは同じタイミングのものではありません。
順番的にはラクガキしてから、それが終わったタイミングでステージを撮影したので、ステージ上の人や配置が変わっているのですね。
しかも、描いている最中は夢中だったので、ラクガキをしていた時の写真は1枚も撮影していません。
ですが、このラクガキをしたときのステージの様子は今もありありと思い出せるのです。
このときは中央にハンチング棒をかぶり、ジャケットを着たブルースハープ奏者がおり、画面右側で青いシャツを着たテンガロンハットの男性がベースを弾いていました。
なぜそれが思い出せるかといえば、絵に描いたからに他なりません。
絵を描くことにはイメージを定着させる働きがあります。
それはちょうど昨日話題にした観察すなわち「見る」のと、体を使って「描く」ことの複合行為だからなんですね、もちろんこの日は「聴く」も組み合わさっていたのでなおさら。
さて、この日活躍したのは「ぺんてるマルチ8」という1本で8色になる色鉛筆。
私は別売りの芯を入れたものと合わせて2本持っているで16色の働きをしてくれるのですが、これを一本持っているだけでも何かと役立ってくれるんですよ。
お気に入りの筆記具のひとつです。
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