大切なのは「ツールの使いこなし」ではなく、何かをする「意志」じゃないかな
先日つぶやいた内容から少し。
近頃スマートフォン、特にiPhoneを使ってブログを更新する「モブログ」という行為が話題になっています。
一昔前の感覚であれば、いわゆる携帯で撮った写真に一言二言コメントを付けて、まるでメールを送るようにブログを更新することをこう呼んでいました。
しかし現在のスマートフォン時代では、画像編集にエディター、連携可能なブログ更新用アプリと下手をすればPC以上の執筆環境が手に入ってしまうのです。
言われないとスマートフォンで書いているなんて分からないブログも沢山でてきました。
ツールの進化は「使いこなし」を求める
一般的に「ツール」は進化するほどに機能が増え、使用歴の長さや理解度、センスによって習熟度の優劣が生まれます。
特にツールに対する習熟度が優れている状態のことを、使いこなしているといいますね。
もちろん、ツールと、それを使いこなすことは大切なことですが、本当にそれだけでいいのでしょうか?
最近どうも「使いこなし」という言葉に翻弄されている人が多いと感じてしまうのです。
「使いこなし」という言葉の罠
「使いこなしている」という状態は同時に「使いこなせていない」という状態を作り出します。
この二つの状態は優劣から生まれているものであり、右利きと左利きとか男か女かのようにどちらかに分類されるものではなく、ヒエラルキーの構造を持っています。
必然的に、興味があり劣っているものは上に行きたいと願い、そのためには自らの時間を使い技術を磨くか、優れている人から対価の見返りに指導を受けるのが通常の方法になります。
ただ、ここで注意したいのはツールはあくまで目的のためにあるものですが、必ずしも目的を達成するための必要条件ではないということなのです。
「使いこなし」ではなくそこに込める「意志」をまず高める
もちろんツールによって完成度や表現力が増し、労力が減ることは確かです。
そのための「ツール」なのですから。
しかし、それより大事なのは何かをしようとする「意志」ではないかと思うのです。
高級な何百本もの色鉛筆は無くても絵は描けるものですし、人差し指だけのタイピングで素晴らしい文章は書けます、手拍子と声だけで素晴らしい音楽が奏でられます、超高級なカメラが何台もなくてもiPhoneのカメラで素晴らしい写真を撮る人もいます。
例えば先のモブログであれば、最悪ブラウザがあればブログは書けてしまうのです。
これらの例もある意味では「使いこなし」の一例だということはできますが、使いこなすことが目的でそこに至ったのではなく、成し遂げようとする「意志」が結果として使いこなしにつながっているわけです。
「何がしたい?」を考える
思い返せば私がhtmlを覚えたきっかけは「htmlを書けるようになりたい」ではなく、「ホームページってやつを作ってみたい」という意志が先にありました。
逆に「なんとなくプログラミングしてみたい」で始めた勉強は、なんだか頭に入らずそのまま放置されてしまったり…。
様々なことで試行錯誤し、時に回り道をし、たまに人に教えてもらって色んなことが身についていったという実感があります。
さてそこであらためて
あなたは「ツールを使いこなしたい」のでしょうか?
それとも「これがしたい!という意志」があるのでしょうか?
学生時代はついつい参考書を買いあさってしまうタイプだったせいか、今や器用貧乏タムカイでした。
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