大人になるって、良くも悪くも鈍感になること
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昨日「ほろ苦うまい大人の卵かけご飯を開発してしまったお話。」というのを書きながら思い出したのが、子供の頃の自分には魚のワタがとても苦くて、どうして父親が美味しそうに食べてるか分からなかったというシーン。
その時は「大人になれば分かるよ」と言われ、そして今美味しくワタを食べている。
ワタの苦味は変わっていはずなので、自分の苦味への感覚が鈍ったということなんだろう。
たしかにウチの子たちを見ていると、朝起きては薄暗い部屋で「まぶしい」と言い、炭酸水を飲んでは「痛い」と言い、大人にとっては甘くて仕方ないカレーを「辛い」なんて言う。
これって、子供はとても敏感ってこと。
そりゃ、魚のワタなんて苦くて無理だ。
じゃあ、大人はただ鈍くなっていくだけだと諦めるのか。
いや、それにはまだ早いし、できることはある。
感覚器官は鈍っても、感情を感じる心は努力次第でいくらでも成長させることができるはず。
相手のことを見て、思いをはせ、そのために行動すること。
子供に辛くないカレーを用意してやること。
鍵になるのは観察力と想像力、そして行動するという表現力。
ラクガキをしながら今日はこんなことを思いました。
今回のワシヅカミポイントは
鈍くなったおかげでワタの美味しさを感じられるようになったので、悪いことばかりじゃないよね
※ただし、新鮮なのにかぎる
以上!
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[milliard]