「帰る場所があるから旅に出るのよ」と家人は言った
先日、「最近、インターネット上であまり見ないよね」と知人に言われた。
「よく見てるなぁ」と思いつつ、同時期にちょうどかねてから話してみたかった方たちと飲みに行こうという話になり、その知人と一緒に会うことに。
そこで「物語論」という話題で大きく盛り上がった。
古今東西様々な物語が存在し、そのベースとして「行って帰ってくる」という基本パターンがあるのだという。古くは神話の時代から、そして私たちのよく知る昔話「桃太郎」や「浦島太郎」、ジブリ作品の「千と千尋の神隠し」など例を挙げれば限りなく、ゲーム「ドラゴンクエスト」でも、王様に依頼された勇者が竜王を倒してローラ姫を救い出し王様の元へ帰るところで完結する、といった具合だ。
つまり「日常からその向こう側へ行き、困難を越えて何かを得て、最終的に帰ってきた日常がまた違ったものになっている」という型があり、この物語構造が人にとって理解しやすいものであるからこそ、これほど世代文化を超えて愛されているという話だった。
この物語構造を私たちが実際に体験できる一番身近な方法が「旅」だ。
もう一歩踏み込むと、旅とはそれまでの状態から行って帰り、その途中で時に困難にぶつかりながら何かを得るということであって、決して物理的な移動をさすのものではない。
かつて私は日常から旅立つためにブログをはじめた。
その中で色々な人に出会い、時に悩んだりしつつ、気づけばそれまでの日常は大きく変化していた。
これはやはり一つの旅であったと感じるし、さながらこのブログは旅日記のようでもある。
ただ、気づけばここ最近、そんな日常もまた当たり前になってしまっていた気がする。
すると「最近、インターネット上であまり見ないよね」と言われたのは、無意識のうちに旅に出ていた状態だったのかもしれないと思えた。先の物語論の話題も含め、この夜の刺激が私にとって勇者の見つけた宝物のように感じられたからだ。
そんな集まりの帰り道、メッセージのやりとりをしながら余韻にひたっていたところ、手を滑らせてiPhoneを道路に落としてしまった。これまで6年ほど使ってきて落としたことは何度もあったが、今回は嫌な予感がした。
拾い上げて見てみると、やはり、画面に大きなヒビ。
正直なところ、少しだけ落ち込んだ。が、次の瞬間には「仕方ないか」と思っていた。
電源ボタンを押せばちゃんと画面は点灯したし、タッチパネルも問題なく動作していた、調べると1万円ちょっとでガラスの交換もできるらしい。だけど今はもうしばらくこのままでいいかなという自分がいる。
それは、どこかこのヒビが、旅の証明のように感じられたからだ。
そして、この日のことを何かの形で書き残しておこうと、ここに帰ってくるきっかけになったから。
さて、旅といえば2015年12月19日に福岡で初のラクガキ講座を開催することになりました。
ハッピーラクガキライフ in 福岡(2015/12/19) #happyrakugaki | eventon(イベントン)
「いつか福岡へ行きたいな」というふわっとした思いを持ち続けて数年、自分にとって勇者の剣さながらのラクガキがきっかけになり、現地のりくま(@Rikuma_)さん、赤坂太一(@taichi_akasaka)さんの多大な協力を得てこのような機会をいただくことができました。開催はまだ先ですが本当にありがとうございます。
そしていつもこんな私を快く送り出してくれる家人にも感謝の気持ちをこめまして。
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