揚げ足を取り合っていると、いつかみんなでコケてしまうよ?
ちょうどこんな記事を書きまして
公開したあとにはたと気づいて、最後にちょっとこんな一文を追記しました。
見ての通りヘッダのブログタイトルの下に「人生の楽しみ方をデザインするブログ」って書いてあるのですが、私が思う「人生の楽しみ方」だったり、伝えたいことというのはこういうことなのかなとあらためて思ったりしたのでした。
via: 「子供の顔写真はネットに上げない」など、ちょっとしたルール・制限を工夫につなげて創造力を刺激するための2つのコツ | タムカイズム
先ほどの記事が「楽しみ方」を提案するというポジティブな方向であれば
今回の内容はその逆になりますかね…?
え?ちがいますかね?ちがうといんですがね。
まあ、揚げ足を取るというか、ツッコミどころなんて探せばいくらでも見つかってしまうわけです。
重箱の隅は4つくらいだけど、それこそツッコミどころなんてのは無限に。
最近そういうのがちょっと多いと思うんですよね、当事者以外が入ってくるやつとか、そもそも当事者って誰?とかとか。
あとは決して擁護するわけではないですが、少し前のバカッターみたいに寄ってたかって批判しちゃうようなのもちょっと近いような気がするんです。
で、この状態って、ともすれば総倒れになるわけなんですよ。
なんというかイメージ的に冒頭のラクガキみたいな感じ。
それってとても残念というか、未来の可能性まで潰しちゃうんじゃないかなーと感じていて。
あと「disる」って言葉
これって元々は「disrespect」という言葉から来たヒップホップの文化なんですよね。
「disる」というネットスラングの起源と進化まとめ – NAVER まとめ
本来の「dis」は言葉にするとただの悪口に見えなくもないのですが、ちゃんとラップとして隠喩や韻を踏んだり、ダブルミーニングを取り入れたり表現として昇華されているんですよね。
なんか最近よく見る「disってる」ってやつもですね、頭に来て叩きつけただけの文章じゃなく、そこは「おお!」という表現になっていたりするとですね、いいと思ったりすることもあるんですよね。
あとは自分のリソースをつぎ込んでわざわざ探すなら、ツッコミどころより褒めポイントの方がいいと思うんですよね。
もしくはつっこむにしてもただの弱点見つけてグリグリやるだけではないというかね。
これって仕事でも、恋愛でも、子育てでも、ブログでもなんでも同じですよ。
で、そういうものを文章なり、写真なり、動画なり、絵なり、表現として昇華する方向にがんばったほうがですね、世の中としては楽しくなるんじゃないかなぁなんて、そんなことを思ったのでした。
そんな時にラクガキいいんですよ、ラクガキ(笑)
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